2009年3月アーカイブ

WBCが終わった。今回も見れるときは朝5時半から見た。野球が好きだ。というか阪神が好きでそれに付随して好きなんかわからない。子供のころから刷り込まれた感覚だ。一時期野球をつまらなく思った時期もあったが、ここ10年あまりまた気になっている。
WBCでJAPANが勝ったし、手に汗握るゲームも面白かった。でも終わってみて祭りのあとのような空虚感がある。それはふと我に帰ったときの虚しさである。こういうスポーツの試合において喚起される自分のナショナリズム(といってもそれは上辺のもの)のありか。敵陣にたいするサディズム。日本人ではなく地球人であるという信条にしたいと思いながらこういう機会に自分の心情は明らかになる。こびりついたもんがでる。
また別の考えも想起させる。『この選手達は戦った。充実感はあるだろうでも俺は自分の戦いをしているのか?』という自問である。自分とは関係ない戦いを高見の見物それは楽なもんだ。怠惰に流され、マスコミによって刷り込まれるままに頭を使わず空漠とした快に身を委ねる。こんな楽してたらおれは人生に負ける。せっかくはじめた努力も工夫も水の泡になる。
がんばらない生き方をしたいと願うぐうたら人間でたゆまず努力なんてとてもできないけど、人生不戦敗なんてのは避けたいし一歩進んで三歩下がるような感覚ともおさらばしたいと思う。

野球?のめり込まんとそっと見るように心がけます。できるだけ、、、、、、。
こないだN響アワーで見て気になった、ラフマニノフの『パガニーニの主題によるラプソディ』。それをきっかけにラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』,『交響曲第2番』などを聞き直している。同じ20世紀のロシアの作曲家プロコフィエフなどもそうだがにピアノの名人としても有名だったラフマニノフだが、作風はなるほどそういうものだ。しかしブロコフィエフが超絶的な音楽的快楽を追求したのに対して、少し前時代のラフマニノフの曲は確かに楽器の超絶した技法はみられるもののその背後にはロシア的とでも言うべきか重厚な曲想、そしてあふれるロマンティシズムがある。聴いてゆくとどの曲も多くの人が耳にしたことがあるであろう有名な節がある、キャッチーな仕掛けが施されているのだ。ラフマニノフの曲が映画、ドラマなどによく用いられることがよくわかる。最近ロシア(ソ連)を題材にしたものも読んだのでそういう風景も浮かんでくる。冬に聴いたのもよかったのであろう。そういう部分というのは先に生まれてそれが曲全体の動機になっているのか、それがそこまでつくってきてそこで浮かんだインスピレーションなのか、単なる引き出しにいれてあったもので合いそうだから使ったのかということを考えてしまう。
これまでユニゾンの多い厚化粧的なオーケストレーションは自分の好むところではなかったし、これからもそうかもしれないが、ラフマニノフのそれは許せるようになった。
もうすでに常識的となっているこのやり口からも学ぶところはあるように思う。
はるか彼方の低次元の離れた地点にたってそんなことを思う。
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(amazonにて購入したアルバム、いいですこれ。)
このタイトルNowい(死語)感じでしょ。(笑)でも医療関係ではありません。
実は私の7弦のことなんです。
恐れていたものがついに来ました。
『ブラジルの楽器は割れやすい』とよく聞いてましたし、東京のO氏所有の同じ作家の作品の裏板(ハカランダ)が割れて修理された旨も知っておりました。
でも私のインド・ローズの裏板まで来るとは。
わかったときクラックいやクラっとなりました。
この楽器の裏板は少しアーチが付けられています。真ん中が周囲より膨らんでいるのです。
ちょうどその部分に10cmほどのひび割れがしょうじています。(写真センター・ラインの左)
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製作家M氏によるとそのアーチが原因ではないかということです。
そして実はこの楽器持ち歩いたときの降雨確率90%以上かと思われるほどでした。雨ギターです。それに冬の乾燥、温度変化そういうことも関係するのかもしれません。
しかし早く直さないとなんかの拍子に帝王切開みたいになりかねません。(これは医療系ですね。)
そして音に影響を及ぼさないか心配です。
これまでにしても音に関して、弾きやすさに関しても不満はありました。
だからこの際、修理、小工夫に踏きりたいと思います。
気になるのは費用と期間です。ぼうギター・ショップに尋ねたところクラック修理には¥8000くらいはそして期間は1週間はかかるとのことです。
今のところ一丁等の7弦レギュラー・ギターです。そんな預けんのはいやだな。
将来的にはこのギターはスーパー・サブにでもなって欲しいのです。
だから今のうちに手術(オペ)を受けさせる必要がありそうです。
今はそんな算段で憂鬱になっております。それにしても憂鬱というのは文字変換様々の字ですな。



ネガティブな日記の次の更新はだいたい早いもんです。ぱーっと明るい話題に切り替えていきたいところですが実はまたいらっとしまして。
京都北白川行きの道です。車で八幡で第二京阪を通って名神にのり京都東で降りるべきところ。
第二京阪のジャンクションの表示のは名神の表示が2つに分かれているではないですか。
一つは吹田と名神ひとつは名古屋方面、京滋バイパス、と名神と2通りの表示です。
迷わず名古屋方面を選択しそのままいっても京滋パイパスだけで名神の分岐点などでてきません。その分岐が運命の分かれ道でした。小生はそのまま走ってやばい滋賀に入ってしまうと思い熊取ICで降りたのです。しかし道は山道然としてきたので、病院で京都北白川にゆく道をききましたそうすれば、名神にのるようにいわれたので、ひたすら田舎の道を走りました。すこし街ぽくなりました。でも右側はもう琵琶湖にそそぐ河口ぼい雰囲気になってきました。そう瀬田川です。やばい遅れるなとおもいコンビニで再び名神にのる道をききました。しばらくすると表示が出てきたのでゆくとその表示がとだえたので再びガソリンスタンドで北白川にゆく道をおしえてもらいました。それはこの先にある2つ目の信号を左折してまっすぐいって瀬田西ICからのって京都東でおりて早くいきたいんなら湖西道路を走って比叡山をこえてゆくようにいわれそうしました。この山道ではきそうになりましたが、なんとか降りたところが北白川だったので安堵しました。家を17時に出て現場到着は19時40分。予定より1時間以上遅い到着です。わたしは声を大にしていいたい。カーナビのない貧乏人にもわかるよう道路標示わかりやすくかかんかい!。いろんな無駄づかいしとるくせに肝心なとこちゃんとせんかい。

北白川では第二回ホーダ・ヂ・ショーロです。まあゆうたらブラジルのショーロ音楽の合奏のお勉強会です。
下の写真は前回の写真の写真で画像悪いけど。こんなかんじで輪になってやりまねん。ホーダというと輪という意味があります。

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最近ちくちくといらつくこと多い。

softbanは携帯をかえたとたんに機種のねだんを85%近くさげる問題。ローンは2年ある。

・ちょっとした持病が発覚し通院費、薬代がかかる。2年以上かかる見込みこの病気はいらいらする ようだがそれも拍車をかけているのか?

・おまけにアトピーで痒い。

・車にきずがつく。(自分以外が運転)

・仕事が減る、及びない。

・お金がたまらないのでブラジル行きは遠のくばかり。移住してもいいのに。

・ギターの糸巻きのねじがなくなる。ねじだけでは売ってまへんね。

・仲間には努力を期待してたはずなのに、こちらがついていかないとき。

etc.


いらつく原因の背後にはお金、体力がないことがあるのがわかる。

ならどんどん働け→軽作業なら可というおふれ(体の不安)。軽作業しか。どんどんいけない。


理由のあるものとないものがおそう喪失感。焦燥感。いらつき。それが今の支配的な気分。


たしかによいことはある。

まだぶらさがっているという事実だ。

生きられているということ。

意識もせず支えてくれてる感謝すべき人々もいる。

愉快にさせてくれる音楽、本、人との交流。

楽器をさわる時間。集中すれば浮き世の悩みは忘れられる。


いろんなことあきらめるともっと些細なことに喜びを感じられるのか?


こんなこと読まされても迷惑ですよね。

病気だ(たいしたことないですが)と思って大目にみてください。


とよくいいます。ものの本によるとそのつもりで練習して本番には"培った潜在的な感覚運動ループに身を任せよ、ということ・・・。"だそうです。
練習それ自体が表現となったものもある。練習曲(Etude)というものもそういうものかな。アカデミックな音楽分野のギターではヴィラ・ロボス、タレガ、ソルなどピアノならショパンやドビュッシーなどが有名であろう。ジャズ音楽ではジョン・コルトレーンのいわゆる"シーツ・オブ・サウンド"が思い浮かぶ。まあその辺の話はまた折りをみて話すことにするか、偉い先生方に任せるとして、
まあ練習、及びその方法は重要だということです。
防音室を持っている友達がご近所の方に『音楽されているのに全然音が聞こえない』といわれたそうだ。そりゃそうだろうと思ったがそれを聞いていただんながぼそりと『そら練習していないから』とつぶやく。そばにいた小生はツボにはまり笑ってしまった。がそれはかなり失笑も含んでいた。
わたしのような不器用なものに練習は特に必要です。家でする(ひとりでする)練習大事です。合奏なら会ってリハーサルではない練習をすることは重要です。どこに行こうとしているか考えながらテーマを決めて考えながらじっくりとメニューを作り、おこなう。そういう練習が日常のなかに浸透してゆくことは望ましい。
しかし練習ばかりできるような身分でもないですが。(身分・・・ど貧民。はては何もしないで無為に過ごす病気持ちか。そのどちらも。)
とはいえ先ほどは本番のつもりか?ということは別にして楽しい時間を過ごした。
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(写真:よく歌うサックス吹き●ovo氏)
 *意外とその声は若人のそれである。

読んでしまった。

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買った本を最後まで読めたらそれは面白かったいい本だといえるか図解付きの簡単な本であるかのどちらかである。
がしかし今回は疲れた。
話題の『チャイルド44上、下巻/T.Rスミス』である。
心は灰色になり、寒々とするが読みすすまずにはおられなかった。
怖いですなこういう世の中。
作者これを20代でかくとはすごい。
でも次は軽くお茶のむようなんにしといてほしい。
あっ本読んでる場合ちゃうわ。
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