とよくいいます。ものの本によるとそのつもりで練習して本番には"培った潜在的な感覚運動ループに身を任せよ、ということ・・・。"だそうです。
練習それ自体が表現となったものもある。練習曲(Etude)というものもそういうものかな。アカデミックな音楽分野のギターではヴィラ・ロボス、タレガ、ソルなどピアノならショパンやドビュッシーなどが有名であろう。ジャズ音楽ではジョン・コルトレーンのいわゆる"シーツ・オブ・サウンド"が思い浮かぶ。まあその辺の話はまた折りをみて話すことにするか、偉い先生方に任せるとして、
まあ練習、及びその方法は重要だということです。
防音室を持っている友達がご近所の方に『音楽されているのに全然音が聞こえない』といわれたそうだ。そりゃそうだろうと思ったがそれを聞いていただんながぼそりと『そら練習していないから』とつぶやく。そばにいた小生はツボにはまり笑ってしまった。がそれはかなり失笑も含んでいた。
わたしのような不器用なものに練習は特に必要です。家でする(ひとりでする)練習大事です。合奏なら会ってリハーサルではない練習をすることは重要です。どこに行こうとしているか考えながらテーマを決めて考えながらじっくりとメニューを作り、おこなう。そういう練習が日常のなかに浸透してゆくことは望ましい。
しかし練習ばかりできるような身分でもないですが。(身分・・・ど貧民。はては何もしないで無為に過ごす病気持ちか。そのどちらも。)
とはいえ先ほどは本番のつもりか?ということは別にして楽しい時間を過ごした。

(写真:よく歌うサックス吹き●ovo氏)
*意外とその声は若人のそれである。
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