こないだN響アワーで見て気になった、ラフマニノフの『パガニーニの主題によるラプソディ』。それをきっかけにラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』,『交響曲第2番』などを聞き直している。同じ20世紀のロシアの作曲家プロコフィエフなどもそうだがにピアノの名人としても有名だったラフマニノフだが、作風はなるほどそういうものだ。しかしブロコフィエフが超絶的な音楽的快楽を追求したのに対して、少し前時代のラフマニノフの曲は確かに楽器の超絶した技法はみられるもののその背後にはロシア的とでも言うべきか重厚な曲想、そしてあふれるロマンティシズムがある。聴いてゆくとどの曲も多くの人が耳にしたことがあるであろう有名な節がある、キャッチーな仕掛けが施されているのだ。ラフマニノフの曲が映画、ドラマなどによく用いられることがよくわかる。最近ロシア(ソ連)を題材にしたものも読んだのでそういう風景も浮かんでくる。冬に聴いたのもよかったのであろう。そういう部分というのは先に生まれてそれが曲全体の動機になっているのか、それがそこまでつくってきてそこで浮かんだインスピレーションなのか、単なる引き出しにいれてあったもので合いそうだから使ったのかということを考えてしまう。
これまでユニゾンの多い厚化粧的なオーケストレーションは自分の好むところではなかったし、これからもそうかもしれないが、ラフマニノフのそれは許せるようになった。
もうすでに常識的となっているこのやり口からも学ぶところはあるように思う。
はるか彼方の低次元の離れた地点にたってそんなことを思う。

(amazonにて購入したアルバム、いいですこれ。)
NHKはいつも微妙にキャッチーだからなー。
だからますますお盛んになるよ。
分かりやすい図式で大衆に浸透するんだ。
んなことよりオイラは弾いてたおねーちゃんたちに興味津々。
熊かと思った、かっこよかった。