ぎりぎりの美学

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本日、雨で野外でのショーロ演奏が流れてしまったので、ゆっくりと過ごす。
最近クラシックを聴くことが多い。しかし一般にそうとらえられる事が多いが小生にとってゆっくり過ごすこととクラシックを聴く事はそう関係ない。それにしてもクラシックという名称はだれが付けたんだろうかあまりいい名称とはいえないと思う。近代の作品もクラシック呼ばわりすることには抵抗を覚える。
この音楽は平均律の音楽の宝を秘めている。(勿論音楽は平均律だけじゃない!!!)
以前から印象派とかフランス6人組とかアメリカものなどを聴くことが多かったが最近はドイツものも聴く。全体的にいえばいささか暴論ではあるがフランスものなどは空気、自然でありドイツものは人工的建造物である。自分がやってることはフランス系に近いように思うんだけど、情動を好む日本人の血はドイツものを好む部分もある。

台所の蛍光灯がきれたので近くのスーパーへ車で出かけた。
FMラジオで弦楽が流れる。シェーンベルクの『浄夜』六重奏版だった。
心の声を表すような旋律が美しく歌う。ロマンをたたえながらも屈折してゆくメロディー、協和と不協和をくりかえし重なりあう旋律が独特のハーモニーを生み出す。意外なカデンツア。ブラームス的なもののオルタナティブだなこれは。美しいけどきれいごとだけで成り立っているのでないのが近代的である。この作品は1899年に書かれている。まさに19世紀の黄昏であると同時に20世紀にあふれだしていたるような曲である。調性があるのだが曖昧だ。明確にされる部分と意外な逸脱があるのだ。非常に緻密ながら後の諸作にみられる厳密12音技法などではない。
これは色んな意味でぎりぎりの美学である。腐る手前の熟した果実だ。

小生のような中年もいわゆるぎりぎりのところか手遅れかというところに何か美点を見いだすことができるんであろうか。そこのおいしいとこつかみたいんだけどな、、、、なかなか難しいな。

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(ピエール・ブーレーズ盤家にかえったらこの音源があったので熟聴。)

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