全般的にうたには言葉が入るから、音楽に意味性、意見というものが付与される。明確なメッセージだ。言葉の力これはうたの特権である。
もちろん音そのものにも意味性というものがふされるものもある。
合図、トーキング・ドラム、モールス信号のたぐいである。
いわゆるインストに関しても作者がインスピレーションの由来や背後のある思想なりを語ったり、批評家たちが勝手に方向づけをしたり題名などによって言葉が入ってしまうと意味性がふされてしまうこともある。
そういうことに賛成でも反対でもない。
意味性を付すこと、分類してしまうこと、種明かしをすることなどこれは当然の帰結のように感じる。人間抽象のみでは耐えきらないし、不快、不満なのであろうから。
外国語の歌の場合、特に理解できてない言語の歌の場合、その辺はあいまいになりよ抽象寄りに聞く、歌うことになる。インスト的に扱うという場合をたた見かけます。それはそれでしゃーないんだけど。知らないことで良さが半減するのかはたまた知ってしまって幻滅するのか。
まあつまり歌うたいは言葉、物語、詩を大事にしてほしいと個人的にそう思う。
歌うというからにはその物語、考え、印象を語りたいということを前提にしてほしいなと個人的に思うのだ。
まあ当たり前のことかもしれないけどうたをつくっていてそのことを強く思ったのでメモがわりに。
ではうたがない音楽の特権はやはり無意味性なんだろうか。
人の心ン中には記憶と空気があるじゃないすかー。
音楽だけでなくそれまでのあらゆる体験とこれから「未来」が混ぜこぜドラエモンになってその人の「グルーヴ」になるんじゃねー。唄のあろーがなかろーが。
さらに詞のあろーがなかろーが、説得力の王様ってのはやっぱ「声」かなとも。
オレら楽隊屋の目指すところはその「声」にあるんでしょう。
あ、時間がねえや。。とりいそぎ。