昨日までのわたしの一部は失われた。
今日のわたしに加えられたわたしの一部。
こうした新陳代謝の中で、
沈殿物のようなというべきか残像というべきか。
残る部分がある。
美意識に進化や発展などなく、あるのは多少の変化のみであること。
正倉院展にて思い至る。
鼻風邪でほとんど無作為に近かった北白川の夜。
今日わたしは何を失い。
明日わたしは何を身につけるのか?
ましてや三週間後のわたしはわたしなのか。
計画をたてるのが苦手である。
そのころライブがある。
今やりたいことがそのころやりたいことと同じであろうか。
それこそが企画の問題点で。いつも不安にさせる。
しかし天気のように気まぐれでは社会生活ができない。
だから今のわたしのあるいは過去のわたしのわかりやすい一部を
コピー、ペーストしながら人とつながってる。
他の人が認識してるわたしはわたしの一部の残像に過ぎないのかもしれない。
わたしもその残像を再現しようとつとめる。
誰だってそーなのッ。
失礼しちゃうわッ ほんと。
ほぼそのつもりで。
そのようで。