昨日は午前中奈良にて音楽療法なるもののセミナーと午後は神戸に足をのばして中東の弦楽器ウードのライブというものをそれぞれ見物させてもらった。
ここ一年ほど福祉業なるものに関わりを持つようになった小生は元来やってきた音楽との関わりということで音楽療法というものを調査している。
この日もどのような仕方で音楽療法なるものが施されているか、ビデオと実演があり、質疑応答が行われた。
音楽=療法になり得るかその効能は定かでない。効能と書いたのは温泉などと比べてということも含みにある。確かに音楽は生理的な影響力があるし、気分転換にもなる。しかしそれはいわずもがなである。それはそれぞれ人の健康状態に関わりなくなんらかの影響力がある。だから音楽は多くの人にとって必要である。有益な場合もあることもあろう。しかしそれは療法とした確固としたものであるかどうかは、世にある・・・セラピーと同様よくわからないというのが今、小生が持っている感想である。この世界にも学会があり、日本の会長は著名な医師である。音楽療法士なる資格が存在し国家資格としてゆこうという動きがあるという。数年前ならば容易に取得できた資格が、どんどん敷居が高くなっている。ここでも音楽療法屋さんというものの職域、既存の職域をまもるため、元来もっと音楽と関わってもらって気分を晴らして生きてゆこうという動きだったものが、増大するニーズといわば逆行してゆくいびつな形相になっているように小生には思える。もっと自由に、垣根をつくらない動きとしてやって欲しいなと願う。
午後からのウードのほうも面白かった。音楽を聴くときに頭を真っ白にして聴きたいと願いつつ、既知の事柄とあれこれと結びつけてしまう病気がでてしまう。ウード3本の演奏シーンはスーパー・ギター・トリオなんかとリンクさせてしまった。ここから受ける音楽的な快というものがよく似ているのだ。考えてみるとイスラムの影響という点でそのモードや歌い回しも仕方に共通点がある。エキゾチックなところに即興性と何か旋律がアウトしてゆく様には麻薬的な魅力がある。後で奏者に尋ねたところ、演奏にはマカームなる形式のような、ムードのような、(それはインドのラーガのような、サウダージのような、トスカのような、ものの哀れのような、わびさびのような)現地人しかわからないような感覚があるらしい。(は小生のつけたし)わかるところで響きあいたいね。時間がないので。
そのような音楽よもやまの一日であった。
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